恥ずかしく苦痛だった中学校時代の不登校について告白します

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今回の体験談を読んでみてなんとなく尾崎豊の「15の夜」を思い出しました。

自分が15歳くらいの頃はどんな人間だったでしょうか。

今のように携帯電話やインターネットなどうっすら輪郭が見え始めた程度の存在で、パソコンで出来ることなどたかが知れていた時代。イジメや学校・親への反発は今とそれほど変わらず存在し続けているような気がします。

ただ何となく感じるのは今ほど「陰険」な感じはなかった。

「ビーバップ~」や「ろくでなしブルース」じゃちょっと古いけどどちらかといったら「今日から俺は」位の世代。もっとわかりやすいところではガチの「スラムダンク」世代なので、言ってみれば喧嘩もイジメももっとわかりやすく正面から堂々としてた気がします。もちろん正当化する訳ではないですけれど。

もしかしたら「湘南純愛組」とか知らなくても「GTO」なら知ってるという世代の方が今は多いだろうと思います。

いつからこんなに生きにくい世の中になってしまったのでしょうか。

いつから子供たちは学校や大人や社会に期待しなくなったのでしょうか。

戦後に日本を急成長させた世代が表舞台から退き、その世代に育てられた人たちがトップをけん引するようになりました。私の祖父はもう20年近くも前にこの世を去った第二次世界大戦経験者ですが、もし生きていたとしたら今の世の中をどう思ったでしょうか。

今回の体験談を書いてくれた方はそんな時代の被害者なのかもしれません。

ですが、私としてはこの記事に絶対に賛同できません。全てを大人のせいにして大人が対応すべきだと責任転嫁してよいのは幼児だけです。

逃げるのもいいでしょう。

助けを求めるのもありだと思います。

ですがこの体験者の考えは認めるわけにはいきません。

言いたいことが分かりにくいということもありますが、私が今まで読んでみた記事の中で、始めて書き手の考え方に表現しづらい怒りを感じた記事です。

どんな記事か読んでみて下さい。今回は一切の修正を加えていません。


不登校になったのは自分のせいじゃない

人にはそれぞれ遺伝子がありポジティブに生きられる人と、ネガティブな思考を発生しやすい人で分かれているとも言われています。4つの遺伝子があり、筆頭の遺伝子はとてもポジティブで、最後の遺伝子はとてもネガティブなのです。私はまさに4つ目の遺伝子だと言っても良いのではないかと思います。

スポーツもできない方でしたし、勉強もあまり好きではありませんでした。美術系のことばかりに傾倒し、周りに理解を得られる機会もありませんでした。中学生ぐらいの時に、越境入学をするようにと周りから言われて、別の地域に該当する比較的近距離の中学校に行ったのですが、当時は越境入学が認められていなかったので追い出されてしまいました。

自分のお手本となる教師からも見放されてしまい、親にも振り回されたような感じがしてしまい徐々に心を閉ざすようになってしまいました。越境入学できるように、病気がちであるという事を提示しなければならず、わざわざお医者様にまで行って診断書を書いてもらうはめにもなりました。

私はそこまでの病気を患ってわけではありませんでしたし、なぜ嘘をついてまで越境入学をしなければならないのかと疑問に思うこともありました。そもそも私の行く中学は自宅から4キロ以上も離れていました。越境入学をすれば、1キロ圏内で行ける中学がありました。

自分も労力を使わないという面でもメリットがありましたし、両親も様々な行事などを行うときに面倒なので、近い中学校選びたいという気持ちがあったのかもしれません。また、周囲の人も近くに中学があるのに、どうして自分の地域に該当する中学を選ばなければならないのかと疑問視する声が多かったのです。

今はどこの中学校でも越境入学することが可能になりましたが、当時はそうではありませんでした。私が越境入学をして追い出され、自分の中学に通い始めると、日直日誌の中の休みの欄に自分の名前は常にありました。私はそれを見てますます自分が惨めで恥ずかしくなり、不登校の状況になっていたのです。

結果的に学校組織の仕組み自体が悪かったことにより、私は越境入学に振り回されてしまった状態でした。周囲の人も腫れ物に触るような態度をとっていました。どうして学校に来ないのかと言う声もありました。ですが、そもそも子供のお手本となる人に不信感を抱いてしまったことで、私は本当に人間が嫌いになっていたのです。

やっと自分のしこりのようなものが取れたのは、高校生になってからでした。今でこそ他人に話せる悩みでもありますが、当時は恥ずかしくて人に言うことができませんでした。なにしろ不登校を続けるには、偽りの病気を自分で作る必要性があったのです。

熱がある、お腹が痛いなど様々な症状を言って学校休めるようにしました。長距離の通学も苦痛でしかたがありませんでしたし、友達もほとんどいない状況したから、学校に行くのがつらくてつらくて仕方がありませんでした。今でも、いじめなどの問題が深刻化していますが、私の時代にも同じようなことがありました。

ですが、結果的に中学校の3年間というのはほんのわずかな期間だったと思います。それでも心のしこりが取れない事は事実です。当時、そのことについて感想文を書いてみないかと国語の先生に言われたことがあります。傷ついている最中に、自分の心情について語ることができる訳が無いのに、とデリカシーを疑ったこともあります。

子どものいじめの問題などが今でも指摘されているのですが、元を正してみると大人が関与していることが殆どです。まずはそのことに社会が気づくということが大切だと思います。不登校になったとしても、別の学び方などもあります。

無理をして学校に行くことも無いのです。私は社会の秩序に振り回されて、今でもそれが恥ずかしいと思ってしまったり、嫌だったと思うこともあるのですが、結果的には社会の仕組み自体に問題があることもわかりましたし、大人が子供の心を考えて全てにおいて対応する事が大切なのだと考えています。

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